vol.1 自然農法

日本酒は自然米で醸す時代へ

東温市河之内地区は、隣接する井内地区、則之内(すのうち)地区とあわせて三内(みうち)と呼ばれ、県内でも名の通った米どころです。栽培方法の研究も盛んで、お米の全国大会で何度も受賞する稲作名人を輩出するほど。
収穫の頃、三内全体が黄金色に染まる風景は、息をのむほどの美しさ。棚田の里の造形美は、今も昔も“お米”がつくっています。

自然農法への回帰は容易ではない。

人類がおよそ1万年前に編みだした「農業」という食料獲得方法は、山の落葉や腐葉土、動物などの死骸、農産物の残渣などの有機物を、農地に投入することに始まり、人糞や家畜糞、その発酵産物である堆肥を使うなどして、連綿と受け継がれてきました。
ところが近年(農業の歴史からすればわずか百年前)、有機肥料の効き目や収穫量を改善する、化学肥料や農薬を用いた農法が登場し、有史以来の農業スタイルは劇的に変化しました。
化学肥料は、植物の生育に欠かせない窒素、リン酸、カリウムを化学的に合成したもので、即効性に優れ、農産物の生育を早めます。結果、土地や労働の生産性は飛躍的に高まりました。
化学農法は農業の革命でした。でも、功罪の両面があったのです。
それは環境への負荷、農産物への肥料や農薬の残留、ミネラルなどの含有量の低さなどから、“とてもじゃないが安心できない”と。
現在、篤農家の多くは自然農法への回帰を唱えますが、決して容易ではありません。米どころの三内でさえ、まだまだ慣行農法が主流です。
なにしろ経験や勘に頼るばかりで、手間がかかり収穫量が上がりません。農業就業者の高齢化も進むなか、高い志を胸に抱き有機農法に転換しよう、とは思えない現実があります。

化学肥料や農薬がおよぼすダメージから、目をそらすわけにはいかない。

菊池勝義自然農場は三内の最奥、河之内地区の山麓に開かれています。東西に1.5ha、細長く延びた圃場には、幾重もの棚田が連なります。
ここは完全無農薬・無肥料の自然農場です。菊樹を醸すこしひかりを栽培していますが、有機肥料すら使いません。化学肥料や農薬が、環境や人体におよぼすダメージから目をそらさず、ひたすら安全・安心な米づくりと向きあいます。
向きあうとは、あれこれ加えたり足したりすることではありません。逆に、必要なこと以外を、どうしたら排除できるかに知恵を絞ります。
肥料など無くたって、森の木々がすくすくと育つのは、土が肥沃だからです。森に化学肥料を撒けば、窒素をつくる微生物やバクテリアは働きを止め、やがて木々は枯渇していくことでしょう。

待ちつづけた者だけに湧いてくる、特別な感情。

農場では田んぼが森の土と肩を並べるまで、なにもしません。なにもしないとは、土が力を蓄えるまで、我慢と辛抱で立ち向かうということです。
開墾して14年が経ちましたが、最初の3、4年は、反当たり2~3俵程度しか穫れません。病気もあり、日々の悩みは尽きませんでした。元々、こしひかりは倒伏しやすい稲ですが、肥料を与えなければ、養分を求めて根は大きくなり、力強いお米に育つはずです。でもそれは、土づくりができてからのこと。つまり土づくりをしているあいだは、自然栽培とは言えないのです。
それでも諦めず、完熟堆肥も有機肥料も使わないまま7年。その頃から、目をみはる変化が始まりました。大地を舐めるように目を凝らしても、決して見えるわけでもないのに、土のなかの微生物が稲と手をとりあい、お祭り騒ぎでも始めたかのような感覚。だんだんと肥沃な森の土に近づいている予感。
待ちつづけた者だけに湧いてくる、特別な感情でした。

こしひかりの株の張り具合や稲穂の大きさ

東温市という地域を再定義する。

農場はまだまだ発展途上ではあるものの、こしひかりの株の張り具合や稲穂の大きさ、色艶などは、年々たくましさを増しています。噛めば噛むほど旨味が出てくると、ありがたい評価もいただくようになりました。近隣の農家からは「肥料やってないなんて嘘だろ!ほんとは夜中にこっそり、化学肥料撒いてるんじゃないのか?」と言われます。施肥が大前提の慣行農業では、起こり得ない現実に、にわかには信じられないのでしょう。
自然農法は将来、日本の農業を支えていくと考えています。誤解を恐れずに言えば、これからの日本酒は、自然栽培の米で醸す時代が来るのではないかとも。
美しい河之内の棚田で、自然栽培で穫れたお米と、石鎚山系の水で酒をつくることは、東温市という地域を再定義することにもつながります。

 

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